○○させてごめんなさい の呪縛

今月始まった奥田珠紀さん(タマちゃん)の次世代ビジネス予備校

毎回、どっかーんどっかーんとハートに砲弾をくらっております

いわゆる“ビジネス”の勉強とは全然スタンスが違う…

ゆたかなひと としての在り方の学びです

わたしの場合「ゆたかさ」方面には高くそびえるブロック塀があって
「もう今世では乗り越えなくていいや」と
あきらめモードでした
(逃げていたとも言います)

どうもわたしの中には血も涙もないベニスの商人的な欲の深い人間と
極端な清貧に生きる修道女のような人間とがいて(過去世?)
その両極に引き裂かれている自分…というイメージがあったのでした

過去世のことは確証がないにしても
子供の頃にさんざん刷り込まれた、豊かさとかお金に関するネガティブな価値観
これはこの数年の学びの中で記憶の中からぶわぁっと既に出てきました

子供の頃のことは少し前にブログに書きました

何かというと母は「うちはお金がない」「うちは貧乏」と口にしていました
今思えば衣食住に困窮することはなかったのですが
母がそういうし、父と母が内職する姿も見ていたので
「うちはひどく貧乏なんだ」としか思えませんでした

そんな母にお金を出させるのが申し訳なく、心苦しく
欲しいものもほしいとなかなか言えず
大人になってから自分でものを買うときに「下から2番目」を選ぶ癖が抜けませんでした
最善、最高はとんでもないけれど最悪、最低はいやだというギリギリの選択だったのですね

今日のタマちゃんの講座の中で、自分はどんな「マッチ売りの少女」か?という話が出ました

くわしい話は割愛しますが…

話を聞きながら、よみがえったのはアパレルで販売員をしていた時のこと

商品の見せ方(レイアウト)やコーディネイトのセンスは結構あって
マネキンに着せたコーディネートが「この組み合わせでください」と言われたり
売れ行きがいまいちだったアイテムがわたしのディスプレーで急に売れ筋になったりしていました

ところが、接客販売になると 売れない

試着して気に入ってもらえるのに、買っていただけない

なんで?なんで?なんで?

と、悩んでいたのですが、管理面の力を買われて本部へ異動になり
接客販売からははなれることになり、そんな悩みがあったことも忘れていました

で、マッチ売りの少女

私の中のマッチ売りの少女はお客さんが買おうとするたびに

「お金を払わせてしまってごめんなさい」

「大事なお金を使わせて申し訳ない」

そう思ってしまっていて、それは販売員時代のわたし
そして子供時代の母に対するわたしの思いなのでした

服を買いに来たお客さんに
似合う服やコーディネートを提案して喜ばれているのに
わたしから出てくるエネルギーは
「お金使わせて申し訳ない」だったわけです

エネルギーは言葉に出さなくても伝わりますから
こんな販売員から買いたいわけないですよね(涙)

自分が売っている商品(当時なら洋服やコーディネートの提案)に自信はあって
いただく対価も見合っていると自覚しているのに
そのこととは無関係に「申し訳ない」がついてまわっていたのです

講座の中でタマちゃんからとても素晴らしいアドバイスをもらって
この意識は書き換えることが出来ました

ちょっと(どころかものすごく)憑き物が落ちた感覚です

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