秋の日

敬老の日だったのは偶然

数日前に母から電話で
母のかかりつけのドクターからわたしあての書類を渡されたとの連絡がありました

同じ都内と言っても片道1時間半、往復で3時間かかるので
仕事が入っているとなかなか行けません

たまたま空いていたのが敬老の日でした

わたしあての書類というのは
母が何度も検診関係の書類を持たずに医院へ行くので
ドクターが区から直接医院に郵送してもらう手続きをしてくださり
その書類でした

母は少しずつ認知症の症状が出てきていて
特に書類の管理をしようとすると混乱してしまいます
そこにまつわることも混乱します

普通、わたしが実家に行くと知らせればそれはわかるのですが
「先生から渡された書類を受け取りにいく」となると
「理惠が先生に書類を渡す?」「理惠が書類を持ってくる?」…と混乱します

そして、母は言い訳のように「最近頭が馬鹿になって」と口にします

ですが、母の勘違いを指摘すると頑として「そんなこと言っていない」と認めません

ああ、またそんなやりとりが…と思いながら出かける準備をしていたら
夫が「今日は一緒に行こうか?」と声をかけてくれ
二人で出かけることに…

朝、母から「最寄り駅まで書類の封筒を持って行く」と電話がありましたが
「きっと持ってこない気がする」と夫と話していたとおりに
改札近くにいた母に「書類の封筒は?」と尋ねると
「そんなの知らない」との答え

これがわたしひとりだと「持ってくるって言ってたでしょう?!」となるのですが
夫がいると「ああ、やっぱり予想通りだったね」と笑える話に変換できます

結局実家まで行き
たまっていた郵便物をチェックし
不要なものをシュレッダー処理するために
山ほど持って帰ってきました

母はうちの夫が大好きなので上機嫌だし
彼がいてくれるおかげでわたしもぴりぴりせずに済み
なんだかのどかな秋の一日となりました

Blossom Bloom Autumn Field  - jplenio / Pixabay

jplenio / Pixabay

20代でひとり暮らしを始めたのは
どうにも母と合わなかったからでした

長子で長女、子どもの頃にわたしが芸能の仕事をしていた関係で
母とふたりで過ごす時間が長く…

などと分析すれば長々となってしまうのですが…

離れたおかげで少しは普通に(心穏やかに)話せるようになりました

その母が老いてきて
かかりつけのドクターからも
ケアマネージャーさんからも
「娘さんに…」「長女さんに…」と知らせが入るようになり
わたしも「娘だから…」「長女だから…」「娘はわたしだけだから…」と
去年ぐらいから実家に足を運ぶようになりました

実家に向かう時は気が重く
話を聞かず、一方的な主張をする母にいらだち
声を荒げてしまい、母を泣かせたりもしました

わたしは「娘」「長女」として「ちゃんとやる」ことに縛られていたのでした

母がケアマネさんとの約束を忘れて出かけてしまうようなことがあると
「娘のわたしがちゃんとしていない」と評価される気がして
それが「お母さんのせいでわたしが駄目な娘と思われる」といういらだちになっていたのです

 

数秘の講座(Advance)でお伝えしている宇宙の法則に「自分主体」ということがあります

「役割」を演じない…という話です

「役割」を演じている限り、よき方向には流れていかないのです
そうお話ししている自分が「ちゃんとした娘」の役割を演じていました

 

先日は弟と、今回は夫と一緒だったことで
「ちゃんとした娘」を外すことが出来ました
自分ひとりで背負わなくていいと思うだけで
役割を外しやすくなるようです

そして「娘」だけではなく「ちゃんとした〇〇」は
わたしが勝手に演じてしまいがちな役割ということも気づきました

「ちゃんとした」わたしでいることは身を守る鎧であると同時に
自分を締め付ける拘束衣でもあったのです

ずっと「ちゃんとした〇〇」を頑張ってきた自分をぎゅっとして
そっとその役割を剥がしていきます

そうすると、きっと母にも優しく出来るはず

秋の一日に感謝です

Asters Flowers Field Pick Blossom  - Counselling / Pixabay

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