大変遅くなりましたが、「“わたし”とつながる数秘学講座」第2期のみわこさんによる修了レポートです
「なごり雪」の曲と温和な笑顔のイルカさんのイメージしか無かったので、みわこさんのレポートで間違う面を見せていただきました。
イルカさん 出生名 保坂としえ(HOSAKA TOSHIE)
写真はイルカ公式サイトよりお借りしました
職業*歌手、絵本作家
1950年12月3日 東京都生まれ
「なごり雪」「雨の日の物語」等のヒット曲を持つ日本を代表するフォークシンガー。
父親は「スターダズターズ」※のサックス奏者、保坂俊雄さん。
(※日本ジャズ界の草分けである渡辺宏が率いる「スターダズターズ」は1945年に結成。メンバーにはディック・ミネ、石井好子、かまやつひろしの父、ペギー葉山、日野皓正などそうそうたる顔ぶれが参加。)
父親がミュージシャンだった事で、幼少の頃より遊びで作曲したり、父親の演奏を聞きに行ったりと音楽は身近に親しむ環境で育ちます。
幼いころは絵を描くことが大好きで引っ込み思案、内向的な性格だったというイルカさん。3歳で始めたピアノは2年ほどでやめてしまいますが、中一の時にビートルズに出会い衝撃を受け、東京文化学園の高等部になるとギターを始めるようになります。
「音楽は縛られるものではなく、競うものでも無い。あふれるままに表現するものこそが自分の音楽」との思いで、大学は美大(女子美術大学)を選びます。
大学ではフォークソング同好会に入部。そこに指導で来ていた早稲田大学在学中の男子学生、後に夫となる神部和夫さんと出会うことになります。
「シュリークス」というグループで、すでにレコードでデビューしていた神部さんはイルカさんをグループに誘い、デュオとしての活動もするようになります。
1972年、二人はイルカさんの大学卒業と同時に結婚。
イルカさんは神部さんが“僕は音楽だけでなく、イルカという人間のプロデューサーになりたい”と言ってくれたので、そこまで言ってくれるなら一生を捧げようと思ったそうです。
全てを委ねる覚悟でプロポーズを受け入れて結ばれます。
結婚後、夫の神部さんは音楽プロデューサー兼マネージャーとして裏方にまわり、イルカさんをソロとしてデビューさせます。
かぐや姫のカバー曲「なごり雪」を歌うことを薦めたのは神部和夫氏で、活動を全面的に支えるようになります。
1974年「あの頃ぼくは」でソロデビュー。
1975年「なごり雪」が大ヒット。
1976年 アルバムがオリコンチャート1位になる。
〃 イルカの冬眠宣言。 神部氏の勧めで2年間の歌手活動休業。
〃 12月3日 絵本「ちいさな空」出版。
1978年には息子の冬馬君を出産。
1979年 歌手活動再開。
歌手としての活動、家事や育児も含めて夫婦二人三脚で活動する多忙な日々を送ります。
イルカさんに関わる仕事の他に、モデルクラブや新人のプロデュースも手掛けていた夫の神部さん。その仕事の絶頂期に原因不明の不調に悩まされるようになります。
1986年夏、神部さんの病気がパーキンソン病であることが判明します。
パーキンソン病とは大脳脂質からの指令を調整し、体の動きをスムースにしている大事なドーパミンが作られにくくなり、通常より早いペースで減少するとともに生活に支障がでるほど筋力が衰えていく病気。人によって症状の出方がまちまちで解明されていない事が多い難病です。
神部さんは調子が良いときに外出できても、途中で体が固まると身動きができず、自力で帰宅できない状態になることが増えだし、徐々に介護が必要になります。
会社に出社できない状況にまでなり自宅療養に入ると、より一層筋力の衰えが進み、お茶碗も持てない状態になります。1998年にはイルカさんが見つけてきた北海道のリハビリ病院に転院することにして、筋力の回復を目指します。
イルカさんは北海道旭川と東京に行ったり来たりの生活を続けながら過ごす日々が続き、
2007年3月になると腎不全で最愛の夫、神部和夫さんが59歳で亡くなります。
音楽活動、子育てをしながらも長い介護生活を支えてくれたイルカさんの後々を心配していた神部さん。「僕が死んだら派手に送ってね」と伝えていました。自分の亡き後、イルカさんには悲しみに沈んでしまわず、歌い続けて人生を明るく楽しんで過ごしてもらいたい。そのための言葉を残します。
葬儀は内々で行いましたが、「送る会」は家族、友人達や音楽仲間の予想以上の多大な協力もあり、歌あり笑いありアーティストの夢の競演もあり、華やかに神部さんを送ることができます。
20年の介護の末に夫を亡くし、悲しみと喪失感で人前に立って歌う自信を失いかけていたイルカさんも音楽を続ける気力が沸いてきたそうです。
その後も歌手活動を続けながら。女子美術大学客員教授、国際自然保護連合(TUCN)の初代親善大使を務めるなどと共に、人道支援の活動もするようになります。
また着物の絵付け、染色など活動の幅を広げています。
春になると今でもよく流れてくる「なごり雪」。いつまでも古びず、やさしく心に響く歌声のイルカさん。その人生の足跡を数秘でひもといてみたいと思います
コアナンバー
Birth #3–12 (持って生まれた資質、性格、才能や潜在意識)
感受性が豊かで人を楽しませる能力があるのが「3」の特徴。
歌や絵本といった芸能や芸術といった表現で活躍されています。
「12」はコラボレーションナンバーで、誰かと組むことによって自分の殻を破るという数字です。
これは夫婦デュオの「チェリッシュ」松崎悦子さんも持っている数字です。 イルカ著「もうひとりのイルカ物語」によると、夫の神部さんとデュオを組み経験を積んでからのソロデビューという流れは、夫でありマネージャー兼プロデューサーであった神部和夫さんの計画だったようです。そうしたサポートがイルカさんの内気な殻を破り才能を発揮していく力となり、その後もふたりの二人三脚によって歌手「イルカ」は創り育てられました。
Destiny#5 (人生における使命や目的、実現するべき事柄)
「5」は未知の世界の解明とそれを広く啓発していくこと。
知的分野で新しさを切り開く仕事、夢やロマンのある仕事、旅行、芸能に適しています。
イルカさんは歌手や絵本作家として活躍し、コンサートツアーで日本全国をまわる事も多いようです。また、プライベートでは海外への旅行もお好きで未知な文化への好奇心も旺盛です。2008年からは母校の女子美術大学で客員教授も務め、生徒にアートプロデュースの指導もしていらっしゃいます。
Soul#1–10 (魂の欲求)
「1」は自己主張、創造、独立、男性性、革新、斬新、決断を意味します。
恋愛面では一途で一直線というナンバーです。
自分を委ねるつもりで結婚した流れもあって、しばらくは夫の神部さんがハンカチやバック、着る服にいたるまで選び、夫から渡される物しかイルカさんは身に着けてはいけなかったそうです。「歌手イルカ」としてのイメージを創り守るためもあったようですが、神部さんの管理下に置かれて従う生活を送ります。
持ち前の独立心が阻害されていますが、それはDestinyの「8」と「1」の組み合わせが逆相となっているため、自信の欠如から主張力が弱まっていたと考えられます。そのため若きイルカさんは頼れる「先生」のような指導者気質の強い夫に従うという夫婦関係になったのではないでしょうか。
ただし、創作活動や作品に限っては頑固で自己主張をして譲らない面があったといいます。アーティストとしては魂の欲求に素直にいられたようです。
カルミックナンバー「10」は、人道的な目的で人に癒しを与える方向に向かう人に多くみられると言われています。
イルカさんは命の大切さを歌った「まあるいいのち」を創り歌い、ご主人の亡き後は、人道支援や地球環境の保護を訴える活動にも力をいれています。
Personality #4–22 (その人が他人の目に映る印象、表面的人格)
「4」コツコツ生真面目 責任感あり几帳面 マイホーム的 信頼できる人。
「4」から移行して「22」の要素がでてくると、達観したような少し変わった性格、ユニーク、繊細だが大胆不敵、カリスマの要素がでてきます。
イルカさんの「4」は他のコアナンバーに「5」があるため逆相になっています。
几帳面さは薄れ事務仕事は苦手意識があるようで、動きたがりといった面が強まっているようです。
また「22」はムーブメントを創る能力があることを示していて、現在の人道支援や環境保護の活動にも役立っているのではないでしょうか。
Realization #8 (人生の後半に影響が表れる資質)
「8」のミッションは、不可能への挑戦と開拓、物質社会で周囲や力の調整と統率。
夫の神部和夫さんが社長業務から離れると、イルカさんが会社経営を担うことになります。会社の経営や家庭を含めてのお金の管理はすべてご主人が担っていたご夫婦。試練とも見えますが、規模を縮小しながらも組織を仕切る能力は充分にあるようです。
その他のナンバー
Stage #3-12(その人が輝く場)
遊び心あふれる表現の場。
歌に絵本に絵付けに染色。人道支援や環境保護も歌を通して楽しみながら多くの人に参加してもらえるような活動をされていています。
イルカさんはシンガーソングライターですが、元かぐや姫の伊勢正三氏の「なごり雪」で歌手としての地位を確立します。
「12」のコラボレーションナンバーはそうした歌手としての成功のカギにもなっているようです。
Challenge#3–21(人生を通じての課題)
表現し、自分が光輝くことによって人を癒すライトワーカー
「21」のナンバーは宇宙飛行士の方も多く持っている数字です。
自然動物の絶滅危惧種を守る活動に加え、すべての生き物になくてはならない地球を守っていきたいと、環境の保護を訴える活動をしているイルカさんは同じように宇宙的視野をお持ちなのかも知れません。
歌手としての早い時期からの成功は、その先の「地球環境の保護活動をするための布石」として運命が後押ししてくれたようにも思えてしまいます。
Nature#6(生まれつきの性格)
堅実で保守的 優しくて親切 家族思い 愛情と思いやり
歌声ににじみでる優しさの源泉はこういった資質を持っているからなのではないでしょうか。
愛は家庭から始まり、地球環境、人道支援へと思いをはせていく心を育て、活動していく原動力になっているのだと思います。
Action#9(自然と出てくる行動様式)
人類愛、寛容、博愛、正義感、外交的だが内向的。
【Type2】でみる才能
抜きんでている才能は、
Maturity1 人々の心理を引き付けるモード。表現や開放を求めるヴァイブレーション。
Support 1 無気力、病、不満、停滞している人々に勇気を与え創造の火を灯す。
Intelligence5 直観的判断力、映像により知覚する知性。
そっと心に寄り添うような優しい歌声、イラストや絵など多角的な表現を見るにつけ遺憾なく才能を発揮させているのがわかります。
ライフサイクルでみる人生の流れ
0~33歳
「テーマ」Cycle Number 3–12,
「実際に起こること」Pinnacle 6, 「課題」Challenge 9
ミュージシャンの父親の影響で子供の頃から音楽に親しむ家庭に育ちます。
Birth#3というコアナンバーに加え幼少期のCycle Numberには音楽に関わる人に多くみられる「3」、Pinnacleに父親を表す「6」があり興味深いです。
また、「6」は結婚後の「夫」とう意味もあります。
父親の影響が強い家庭に育ち、結婚後は夫の強い管理下で暮らすようになります。
Year Cycle6の年、21歳で結婚。夫婦デュオとして活動しますが、ほどなくして公私ともども夫のプロデュースを受け、歌手としてソロデビューも果たします。二人の才能のコラボレーションなくしては、「イルカ」という歌手は誕生していないということを考えると、出会いは運命的にみえます。
Challenge(課題)「9」 自分も人をも許すことで、すべてを受け入れる真の強さ。
良い環境、人の中に身を置き、自己の信念を固め、才能を発揮していくこと。
結婚から歌手デビューとその後の活動に至るまで、こうした目的意識と葛藤があったのではないでしょうか。
34~51歳 「テーマ」Cycle Number 3,
(34~42歳) 「実際に起こること」Pinnacle 9 ,「課題」Challenge 3
(42~51歳)「実際に起こること」Pinnacle 6 , 「課題」 Challenge6
イルカさん35歳、Year Cycle 2(受容の年)の1986年夏頃より、パーキンソン病を発病した夫に介護が必要になります。
生まれてから34歳までは自分の意思を超えた力が自動的に働くという二ケタのYear Cycleが続いていましたが、この年を境にイルカさん自身の意思や決断が求められる流れに変わっていきます。
介護が始まってからというもの、歌手活動という表現「3」は続けながら、介護という現実をも慈愛をもって受け入れていくイルカさんの強さが出てきます「9」。その間にもご主人の気持ちを明るく和ませると共に、仕事先でも笑顔を絶やさぬようにと「3」の課題に心を砕いていたのだと思います。
40歳頃からは再びラジオのパーソナリティの仕事も始め、42歳になると紅白に初出場します。コンサートツアーで全国をまわる多忙な日々。
夫の神部さんは自宅で療養していましたが、筋力があまりにも落ち、お茶碗を持てないほどになったため、1998年には北海道旭川のリハビリ病院に移ることになります。
イルカさんは北海道と東京の二重生活となり、PinnacleとChallengeの調和を意味する「6」のこの時期は仕事と介護、心身のバランスが大きな課題だったのではないでしょうか。
52歳~ Cycle Number 6 , Pinnacle 9 , Challenge 3
数字の意味する事
「テーマ」6 真善美、 「実際に起こること」9 自己再生、
「課題」3 表現し続けること
Year Cycle 11(真の理想に向かって目標をしっかり揚げる年)の53歳になると国際自然保護連合(TUCN)の初代親善大使に任命されます。
そしてYear Cycle5の年、イルカさん56歳の2007年3月2日に夫の神部和夫さんと死別することになります。
二人三脚で「歌手イルカ」を創り育て、結婚するときに自分を素材として捧げたイルカさん。ご主人が亡くなった時は捧げた「イルカ」を返品された気分だったと著書「もうひとりのイルカ物語」の中で語っています。
心にぽっかりと穴が開いたような悲しさと虚しさ、もう人前で歌う自信が無くなりはじめていたのを救ったのが、「僕が死んだら派手に送って欲しい」とご主人がつぶやいていた言葉を思い出して開いた「送る会」。
葬儀は家族などの内輪だけのものにしましたが、「送る会」の相談をしたところ、友人達や生前に親交のあったミュージシャン仲間、関係者有志等の協力を受け、夢のような共演もあり、心温まる素晴らしい会を開く事ができたといいます。イルカさんも家族バンドとしてその会で歌うことができ、気持ちを立て直して前を向いて歩ける自信を取り戻します。
愛する人の介護を通して、人の命の尊さを改めて感じることができたというイルカさん。
歌を通して、命の大切さ地球環境の大切さを訴える活動に結びつけていきます。
近年ではコンサートにゴスロリ(ゴシックロリータ)ファッションで登場することもあるようです。イルカ=オーバーオールの時代は過ぎ、新しい人生のステージも楽しまれているのですね。
Pinnacle#9は夫の強い影響を受ける時代が終わり、自分の足でしっかりと自分らしさを取り戻していく自己再生の流れとなっています。
むすびに
イルカさんの夫、神部和夫さんについて
コアナンバーは、Birth#8、Destiny#8、Soul#7、Personality#1、Realization#7
「8」や「1」のリーダー的気質に加え、「7」を持つ研究熱心なお人柄のようです。
お仕事に打ち込まれた様子は、イルカさんの著書にも書かれていて、とてもやり手の方のようで見事なまでに数字にも表れています。
イルカさんのSoul#1と神部さんのPersonality#1は響き合い、お互いの創造性を尊重することが、二人の絆となったのではないでしょうか。
人生には無駄なことは無く、病や苦労でさえ学びの場になるのでしょう。
新たな気づきは、心の視野を広げ、意識を次のステージに押し上げてくれる成長の種となります。どんなつらい経験であっても、その中に学びや気づきを見出していく勇気と希望を持ち続ける大事さを感じさせて頂きました。
また、数秘でよみときをしながら「人に寄り添うこと」の味わいを垣間見せて頂きました。敬意をもって感謝させていただきます。
参考文献
「もうひとりのイルカ物語 なごり雪の季節に旅立っていった夫へ」イルカ著 マガジンハウス