4月の真ん中あたりに散歩道ですっころび、左手首の骨が折れました
骨が折れたのでギプスをしました
救急車で運ばれたときには応急的な副え木っぽいギプス
専門医の診断を受けたあと手の甲から肘の上まで覆うギプスになりました
「2週間これで様子を見ましょう」
初日の夜から憂鬱気分が盛り上がる盛り上がる
とにかく不便で鬱陶しいのです
「あー、やだやだ!早く外れないかなぁ」
2週間後、レントゲンを撮るためにいったんギプスを半分外しました
「ああ、腕が呼吸してるぅ♫」
結果、経過は良好なので手の甲から肘の手前までのギプスに縮小
肘が自由になるだけで快適♫
そして更に2週間後、経過良好なのでギプスを完全に外すことに!
「やったー!自由の身だ!」
ところが……ギプスを外して浮かんだのは不安感でした
骨の修復が進んでいるとは言え、まだ動かしづらいし、痛みもあります
でも、もうギプスには守ってもらえない…
ギプスをして腕をつり下げていると、
お店でおつりのやりとりをするときなど店員さんが親切に声をかけてくれました
ギプスで固めていれば、ちょっと腕がどこかに当たっても痛みを感じずに済みました
ですが、ギプスを外すとそういった親切な配慮は受けられません
うっかりぶつけたら大きな痛みを感じます
外れた喜びと開放感と同じかそれ以上に不安と心細さが胸に湧きました

心にも同じことがあるなぁと感じました
ひどく傷ついたときに痛みから心を守るためにギプスをつける
最初はそれが制限だと感じて不自由を覚えるのだけれど
いつの間にかそれが無いと不安になってしまう
たとえば「どうせわたしなんか」ギプス
一度何かに挑戦して失敗して傷ついたりすると、このギプスをつけて守りに入ります
心から望んでいることがあるのに
「どうせわたしなんかには無理だから」と心の自由を奪います
自由はない代わりに、周りも無理に挑戦を強いることもなく、新たな傷を負ったり痛みを感じる可能性はぐっと下がり、安心できます
でも、その代わりに心の可動域は狭まってしまうのです
本当はもっとこうしたい!という心の声に気づいて、ギプスを外してみたものの
不安が膨らんで、またギプスをつけてしまうこともあるかもしれません
わたしの手首の話に戻ります
担当医の先生と最初にこんな話をしました(太字が担当医)
「ギプスを外した後はリハビリが必要になりますか?」
「ひとによってですね。何でも無かったみたいに動かせる人もいますよ」
ギプスを外した日にはこんな話
「最初はちょっと不安があると思うので、サポーターをして様子を見ると良いですよ。痛みの様子を見ながら無理のない範囲で動かすようにしてください」
ギプスを外して2週間後にはこんな話
「リハビリはどうしますか?」
「自分で様子見ながら動かしてみます」
「それがいいですね。1ヶ月後にまたチェックして必要なら考えましょう」
体と同じように心も本当はギプス無しの方が自分にとって良いはずなのです
でも、長い期間つけていて外すことに不安を覚えるなら
体につけたギプスと同じように
「自分のペース」で「様子を見ながら」「必要なときはひとの手を借りて」リハビリしていくのがベスト
もし、本来は自由に動いていた心に自分がギプスをはめていたことに気づいたら
そんな風に、もともとの心の可動域を取り戻してください
わたしもお手伝いします

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