“わたし”とつながる数秘学講座Basic第1期 明子さんによる修了レポートです
緒方貞子 出生名 中村貞子 Nakamura Sadako
誕生 1927年9月16日 東京都 港区
職業 日本の国際政治学者(国際基督教大学・上智大学・聖心女子大学など)第8代国連難民高等弁務官
日本人初、女性初の国連難民高等弁務官を務めた、緒方貞子さん。国連難民高等弁務官になったのは63歳の時。名誉職ではなく、実際に10kgの防弾チョッキをつけて、1日中難民支援の現場を歩くこともあったといいます。41歳で参議院議員の市川房枝さんから「国連総会日本政府代表に」と要請されたことが、国連で仕事をするきっかけでした。49歳で国連日本政府代表部公使になります。なんと、それまで2ケタのYearCycleが続いていたのですが、「2」になった翌年が、49歳。この後、国連公使として信頼を積み重ね、63歳で第8代国連難民高等弁務官になります。
「日本のマザーテレサ」と言われたり、「小さな巨人」と言われたり、「ワーキングマザーのあこがれ」と言われたり、さまざまな評価を受けている、貞子さん。数をひもとくことで、その人物像を浮かび上がらせてみたいと思います。
また2013年に亡くなった夫・四十郎さんとの相性も、簡単に触れてみたいと思います。
コアナンバー
Birth #8
持って生まれた性格を表すBirthは、「8」。全体を見渡す力をもち、大胆に実行力をもって行動する「8」。「8」という数には「自信」「野心」といった意味もあり、また「負けず嫌い」の性格を表すナンバーです。子どもの頃から負けん気が強かったという貞子さんの資質は、この「8」によるものなのでしょう。
経験から学び、経験を知恵にしていく「8」、難民高等弁務官として、現場を大切にし、常に「人の命を助けること」を最優先して、今までの国際社会の中で当たり前ではなかったことを、当たり前にすることで、たくさんの難民、人の命を救ってきました。
1)クルド難民
貞子さんが難民高等弁務官に就任した頃、湾岸戦争が勃発しました。その時、クルド人がトルコ国内に避難しようとしたのですが、トルコ政府は受け入れを拒否、クルド人は国境地帯に留まることになりました。国内避難民は当時、国連難民高等弁務官事務所(以下UNHCR) では支援の対象ではなかったのですが、人道的見地から、そして何よりも人命を救うために、それまでの難民保護の考え方を超え、新しい支援の枠組みを作りました。
2)ルワンダ大虐殺
1994年ルワンダで、フツ族によるツチ族の大虐殺が起きました。大量のルワンダ難民が隣国へ流失したため、UNHCRは難民キャンプを設営しました。難民の中には武装集団にいた人々も混ざっていたので、治安維持が必要でしたが、その任務に応えてくれる国はありませんでした。そこでUNHCRが独自に現地の人々に訓練を施し、難民キャンプの治安維持にあたってもらうことに成功しました。
このように、人命を救うために現実的に何が必要で、何をするべきなのか、思慮深く、そして革命的ともいえる実行力で、難民支援という任務を果たしてきました。
「『人の命を助けること』。これに尽きます。生きていさえすれば、彼らには次のチャンスが生まれるのですから。」
Destiny #5
人生における使命は、「未知の世界の解明と、それを広く啓発していくこと」の「5」。まさにそれを実現すべく、人生の前半は国際政治学の研究者として、大学教育にあたりました。
しかしこの「啓発」は、学校という囲われた場だけではなく、社会全体への教育も意味しています。1992年、国連安全保障理事会で、難民高等弁務官として、旧ユーゴスラビアで起きた、大量の避難民発生について、報告を行いました。これは極めて異例なことでした。それまで、人道機関の責任者が安全保障理事会で発言することは、なかったのです。人道援助関係者は、古くから堅持されてきた中立と公平の原則を、<政治的関与から明確な距離を置く>という意味に解釈するのが一般的でした。
それでもあえて踏み切ったのは、「新しさを切り開いていく」使命をもつ貞子さんだからでしょう。1992年から12回にわたり、国連で最も協力な政治機関である安全保障理事会で発言したのは、社会全体を教育する意味があったのです。
またこのようなある意味大胆な行動ができたのは、研究者として教育者として、国際政治のシステム(体系)を学び、現場で経験する中で、知識を智慧に買え、自分の中に落とし込んでいったからこそできたのではないでしょうか。
「もっと勉強をしなさい 」(ピント外れの質問をする記者に対して)
Soul #5-14
魂の欲求を表すナンバーであるSoul数も「5−14 」。人生における使命と、魂の欲求が「5」で、一致しています。Soul数は本人も自覚していない場合があるようですが、Destiny数と同じ「5」だったので、内的願望を意識しやすかったのでしょうか…。
「14」はカルミックナンバーで、前世から持ち越したカルマを、今生で果たす時期が訪れると言われています。「14」は、自由の誤用を理解するためのナンバーです。貞子さんの場合、Destinyで述べたように、大学教育から社会の教育へと職業が大きく変化していきました。 その中で真の建設的な自由とは何か?を心の奥深いところで学びーそれはきっと政治的な思惑から距離をおき、何よりも「人間を大事にする」という信条ー、それまでの難民保護の考え方を超え、新しい支援の枠組みを作っていったのでしょう。
Soulナンバー「5」が示す意味は、情熱的で奔放。
1951年に聖心女子大学を卒業し、アメリカ・ワシントンのジョージタウン大学大学院へ留学します。その後、1956年にカルフォルニア大学バークレー校大学院博士課程へ進学します。 途中で父・中村豊一氏の病気で一時帰国しますが、1963年に博士課程を修了し、国際政治学博士の学位を取得します。この長い大学院生生活の中で、1960年33歳の時に、緒方四十郎氏と結婚し、博士号取得と同時期に初めての出産を経験します。
当時のことはそれほど資料がなかったのですが、Soul数「5」の表す通り、同じ年齢のふたりは、熱烈な恋愛結婚だったようです。結婚にあたって貞子さんから緒方氏への「条件」は、学問への専念でした。学問についても、「5」のナンバーのとおり、情熱的に取り組んでいたことがわかります。そして仕事への取り組み方も情熱的で、地位や名声のような一般的な価値からも「真に建設的に自由」であることが、元同僚の次のことばでも明白でしょう。
「本当にいい女は、男より勇気がある。男のように地位や名声を失うことを恐れないんです。」(貞子さんの「女性としての特性」について 鶴見和子・上智大学名誉教授)
Personality #9
他者の目に映る、貞子さんの表面的人格「刷り込まれた自分」は、「9」。幅広い人々と交流できる人、物腰柔らかそうでいて冷静、人当たりがよいのが「9」の表す表面的人格です。Soul数で引用した、鶴見和子・上智大学名誉教授は、貞子さんの元同僚ですが、『緒方貞子という生き方』(黒田龍彦 2002)という本の中でこのように述べています。
女でも、官僚機構に入ったとたん男のようにふるまってしまう女性が多いなかで、NGOや現場の人々とのネットワークのなかでお互いに対等な者として学び合い、助け合う関係を彼女は尊重している。そうした命を大事にする緒方さんの働き方は、社会学的に見ても非常に創造的です。
Realization #4-13
今回の人生での実現性や可能性を表すRealizationは「4−13」。この数があらわれてくるのは36歳から45歳の頃だそうですが、この時期の貞子さんは、学位を取り、結婚出産介護を経験し、大学の教員として働き始め、41歳で国連総会日本政府代表顧問となるよう要請を受けます。「4」の意味するところは「信頼」。引き寄せ力が強い数と言われています。ご本人によると「自ら手を挙げて始めた仕事はあまりなかった」そうで、国連総会日本政府代表顧問という職務はまさに、市川房枝氏からの要請によるもの。人々からの信頼を得て、現実的な問題(難民)に対処し、難民支援の仕組みを整えていったことが、「4」に表れています。
カルミックナンバーの「13」は「死と再生」のナンバー。創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられるナンバーです。徹底した現場主義の貞子さんは、行く先々でそれまでの考えをうちくだかれ、そこから学び、新しい取り組みをすることで、カルマの負債を清算していたのかもしれません。
「何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りがでてくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受け入れませんと。」
「この10年で私、癇癪持ちになったのかもしれないけど」
その他のナンバー
Stage # 1 –10(その人が輝く場)
唯一無二の存在としての「1」を持っています。組織のトップとして、オンリーワンのリーダー気質を発揮することで輝いているといえます。またカルミックナンバー「10」を持っているので、人生のある時期に全く別の道へ、それも人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうーつまり大学教員から難民支援の専門職としての活躍は、「10」というナンバーにも表れています。
Challenge # 5(人生を通じての課題)
「発信」や「世界に変化を起こす」ことが、人生を通じての課題です。そして実際にその課題をなしとげてきました。子ども時代に由緒正しい家庭の中に育ったことも、貞子さんの課題だったのかもしれません。またマルチな能力をもつ貞子さんですが、家庭と外の仕事と両立できたのは、「5」と「4」(秩序)の逆相をうまく調和させてきたからかもしれません。
Nature # 6 (生まれつきの性格)
平和と美を愛する性格です。また美しいものへの感性の高さも、備えています。緒方さんの口紅は「赤」、また手先を美しく整えることをマナーとして取り入れていて、赤のネイルをされているそうです。
Action #4(自然と出てくる行動様式)
論理と感情が調和しています。終始一貫した態度の人です。
「耐えられない状況に人間を放置しておくということに、どうして耐えられるのでしょうか。そうした感覚をヒューマニズムと呼ぶならそれはそれで一向に構いません。でも、そんな大それたものではない。人間として普通の感覚ではないのでしょうか。」
一見感情的に見えることばは、実は現場をたくさん見てきてそこで感じたこと、得たことを整理し、戦略的に冷静に口から発したことばに見えてなりません。
TypeⅡ
TypeⅡ ( TypeⅢ Balance 6 ) | ||
Creation 創造する力 | 1 | 開拓精神 人とは異なる視点をもつ |
Growth 自分の魂の成長〜周囲を霊的に成長させる力 | 3 | Light Worker 自己の感情と感受性を淘汰し、人を喚起する |
Maturity 完成度 成熟度 集合意識へのシンパス(同調) | 5 | 世の中が流れていく方向を観じとる 変化をよみとる 革新性 |
Lead リーダーシップ | 2 | 支援という姿勢 |
Support 何かを支援する力 | 3 | セラピスト |
Make Mood 雰囲気をつくる力 | 4 | 協力的な姿勢、楽しい雰囲気づくり |
Body 身体のエネルギーをどのように使うか | 4 | 地道な訓練、スポーツ選手(テニス) |
Emotion 情緒 | 3 | 繊細な感受性、人情派 |
Intelligence 知的才能とそれをどう役立てるのか | 2 | 優秀でロジカルな思考と理解 |
貞子さんのTypeⅡ(特質)が最も良く表れているのが、CreationとMaturity。前者は新しいもの(組織や秩序)を、それまでとは異なる視点で作る特質をもっています。また、Maturityでも、変化を読み取る感度の高さや、革新性といった特質をもっていることがわかります。
貞子さんを評価することばとして「強いリーダーシップ」と書かれているものが見受けられます。しかしそれだけではなく、現場を大切にし、そこにいる人に寄り添い、そのうえでその場をロジカルにクリティカルに見つめ、新しい支援の仕組みをつくり、それを広めていく、そういった特質をもつ人のように思えます。
Year Cycle
28歳まで Cycle # 9/Pinnacle # 7/Challenge # 2
1927年(#17)外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一・恒子の長女として、生まれました。幼少期をアメリカ・サンフランシスコ、中国・広東省、香港などで過ごし、1937年(#16−18)に帰国、聖心女子学院に入学。1951年(#17−23)に聖心女子大学を卒業、ジョージタウン大学に留学し修士課程を修了(#17−25)するまでが、この時期のできごとです。
幼い頃から世界中を巡っていた貞子さん。多様な人々と出会う中で精神的に成長し、つきつめて研究したことを、違いを認めお互いを尊重する、という考え方に昇華させていったのでしょう。ただしあくまでも自分で進んで選んだ状況ではありませんでした。それは時代のせいでもあったかと思います。特に10代までは戦争中の日本にいて、精神的な学びをたくさんしたことでしょう。また戦後の留学も、まだまだ女性に教育はいらないといわれていた時代で、世間の風当たりも強かったことでしょう。母親の恒子さんは、第29代内閣総理大臣だった犬養毅の孫で、家族(特に母親)や一族の期待を感じながら、いろいろなものを背負っての留学だったのではないでしょうか。
29歳から37歳 Cycle # 7/Pinnacle # 8/Challenge # 6
1956年(29歳 #18−19)カルフォルニア大学バークレー校に留学、1960年(33歳 #18−23)で結婚、1963年(36歳 #18−26)で大学院を修了し博士の学位を取得、1964年(37歳 #18−27)で出産。
2つ目のボックスも、精神性の学びの「7」。人道的な学びの時期だったようです。
学問を探求し、社会へうちだしていった時期にぴったり重なります。またこの時期に結婚出産を経験します。子育ては「大変で楽しく学問からはしばらく離れざるを得なかった」そうです。また、父親の病気で一次帰国するなど、社会的な仕事と、家族との調和を取っていくことが、課題の時期でもありました。
38歳から46歳 Cycle # 7/Pinnacle # 6/Challenge # 4
1965年(38歳 #19)から国際基督教大学で非常勤講師として働き始めます。そして1968年(42歳 #19−22)、出会いのナンバーの「6」の通り、市川房枝氏の要請を受けて、国連総会日本政府代表顧問となります。ここから国連との関わりが始まりますが、国連での自分の基盤づくりを課題として、たくさんの他者との出会いの中で自分を高め、また国連という舞台で活躍するという本来の自分を見つけていく時期でした。
47歳以降 Cycle # 1/Pinnacle # 1/Challenge # 8
1974年(47歳 #19−28)国際基督教大学の準教授となります。翌年初めてYear Cycleが小さい数字となります。そして国連での大活躍が始まるのです。開拓者として、組織を使って、自分の道を切り拓いていきました。それは同時に難民について世の中に発信し、難民支援の組織を作っていくことでした。
1976年(49歳 #2−3:創造力開花)日本人女性として初めて、国連日本政府代表部公使
1978年(51歳 #2−5:さらなる変化)
国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長
1979年(52歳 #2−6)外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長
*初めて難民と出会う→人間関係の拡大
1980年(53歳 #2−7:転職、ステージアップ)上智大学教授
1983年(56歳 #2−10)模擬国連を始める
*違うことを理解するためには尊重が必要との思いから→クリエイティブ能力の発揮
1990年(63歳 #3−8:権力のシェア→難民のために)
国連人権委員会ビルマ人権状況専門官、第8代国連難民高等弁務官
2000年(73歳 #4−9:完成、次の光へ)
国連難民高等弁務官を退任、人間の安全保障委員会共同代表
2001年(74歳 #4−10:開拓)アフガニスタン支援政府特別代表
2003年(76歳 #4−12:パターンの打破、コツコツ笑顔で)国際協力機構理事長
2012年(84歳 #5−11)国際協力機構理事長退任
2013年(86歳 #5−13:変化、Death)夫・四十郎氏死去
さいごに
夫・四十郎氏とは、熱烈な恋愛結婚だったと以前書きました。四十郎氏は東京大学卒業後、日本銀行に入行し、日本銀行理事と、退職後日本開発銀行副総裁を務めた人物です。コアナンバーは、Birth # 1/Destiny # 9/Soul # 8/Personality # 1/Realization #1と、「1」を3つももつ人物なのです。貞子さんとの共通するナンバーは「8」「9」。特にBirthは貞子さんが「8」、四十郎氏は「1」で二人ともリーダーシップをもつ人物。またBy nameでも「1」が共通のナンバーなので、お互いに自分をしっかり持って生きる、独創的なカップルだったではないでしょうか。
貞子さんが教え子の女子学生に口癖のように話していたことばがあります。
「女性には男性と違うサイクルがあるの。だから焦って目標を決めてしまうより、自分の
サイクルで生きながら長期戦でかまえたほうがいい」
「女性は人生が長いんだし、長いスパンで考えればいい」
まるで数秘をご存知かのようなことば…48歳で初めてYear Cycleが小さい数字で始まり、その後国際社会の表舞台で大活躍していくことになる、しかも自ら手を挙げて始めた仕事はあまりなかった(必然を受け取る)貞子さんならではないではないでしょうか…。このことばに、私自身も勇気を得ました。これから、数に背中を押されて考えるきっかけを得、進んでいきたいと思います。
タイトルの「熱い心と冷たい頭をもて」は、「8」と「1」をもつ指揮者タイプで、「5」の情熱を持ちながら、論理と感情が調和する「4」の貞子さんの数を表すことばだと思い、選びました。人はついつい貞子さんのpersonality数の「9」を強調して、博愛精神を持った人という評価をすることが多いように思います。もちろんそれはそうなのだと思いますが、それはあくまでも結果(見た目)です。有名人だから、従来のイメージをのせすぎないように、ということは気をつけて読んでみました。本来の貞子さんを数によってお伝えてできていれば幸いです。
参照したウェブサイト
緒方貞子「人間の安全保障を求めて」国際連合広報センター
https://www.unic.or.jp/activities/international_observances/un70/un_chronicle/ogata/
第1回読売国際協力賞
https://info.yomiuri.co.jp/group/yri/k-prize/archive/kp1994.html
緒方貞子
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/緒方貞子
宮崎晴美「緒方貞子さんに学ぶ女性のキャリア『女性は人生長いんだし、長いスパンで考えればいい』
https://laxic.me/column/2015/11/c_2_5
日本初の国連難民高等弁務官 緒方貞子さん
https://www.unhcr.org/jp/sadako_ogata
「小さな巨人」
https://blogs.yahoo.co.jp/echq96/35119957.html
https://blogs.yahoo.co.jp/echq96/44388862.html
緒方貞子 「戦争が終わらないこの世界で」
https://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/1009/663832/
Sadako Ogata 緒方貞子
http://www.bitslounge.com/a00_interview/2006/0106_ogat.html
読書至上主義「『緒方貞子という生き方』黒田龍彦」
https://ameblo.jp/london-paris/entry-10338070921.html
GLOBIS知見録「それぞれの現場で世界を変える生き方を学ぶー『聞き書 緒方貞子回顧録』」
https://globis.jp/article/3767
ご自身もボランティアに関わるご経験の多かった明子さんだからこそ、緒方さんの成し得たことは単なる博愛の心だけでできるものではないというところに気づかれたのだと思います
とても素敵なリーディングをありがとうございました
りえ