わかろうとしない

AEONSで数秘学、トートタロット、占星学を学んでいたときに
師から言われたことがありました

「本とか読んで勉強しないでください」

えええっ!

子どもの頃から勉強好きで
わからないことはすぐに調べたくなるわたしにとって
「勉強するな」は拷問(少しオーバー)でした

しかもこういった形而上の学びは「わからない」ことだらけ

学ぶからには「わかりたい」わけです

でも直感が「ここはその通りにした方が良い」とささやいたので
数秘の本もトートタロットの本も占星学の本も買ったものの
ページを開かないままでした

三次元的な思考でわかろうとすると
この新しい学びはわからないことだらけです

「わかりたい」わたしは苦しみました

でも、どこかある時点で「わかろうとする」のを放棄しました

教室で繰り広げられる全部をそのままただただ受けとるのみで
「わかろう」という思いを手放したのだと思います
(そのときには積極的にそういう意図があったわけではありませんでした)

「わかろう」「わかりたい」の裏には、「わからない」があります

「わかろう」とすればするほど
「わからない」自分が肥大していくのです
1から10のうちの9がわかったとしても残りの1が「わからない」限り
「わからない」のです

一連の学びの流れの中で「わかろう」とするのをやめて
受け取ることに専念しだしてから
いろいろな事柄がすーっと自分の中に入ってきて腑に落ちるのを感じるようになりました

ちょうどそのあたりからリーディングが勝手に深まっていき
“読める”ようになったのでした

以前のわたしは「わかろうと努力するからわかるようになる」という枠組みの中にいました

思い返すと、日本語教師時代にとても真面目で「わかろう」とする意識の強い学生がいました

彼は本当に熱心で休み時間にもよく質問に来ていましたが
「わかろう」とするあまりに,日本語の使い手としては伸び悩んでいました

わたしも「わかってほしい」と思い、文法や語彙の使い分けをわかりやすく、あの手この手で伝えたのですが、結局彼は知識に比べて日本語の運用は伸びないままでした

他方、「わかろう」というよりも、耳に入る,目に入る日本語をそのまま使ってみるのが楽しいという学生は日本語の使い手としてどんどん成長していきました

そういうことだったんだ…と今はすごく納得できます

数秘学のクラスのLevel3では宇宙の真理、宇宙の法則についてもお伝えしているのですが
これなども「わかろう」とすると「わからない」ままです

そのまま受け取ると、あるときすーっと腑に落ちてくるのです

そんな宇宙の真理についてもこれからブログに書いていこうと思いますので「わかろう」とせずに「ほほーっ」とか「へーっ」とか読んでみてくださいね

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