震災から5年が過ぎて
ようやく宮城を訪れることが出来ました
最初に訪れたのは津波の被害の大きかった石巻です
たくさんの人で賑わう仙台駅から
仙石線に乗って1時間ぐらい
途中からは海の近くを走ります
窓の外に目をやると
真新しい堤防を造成中
線路はこの後、少し内陸を走ります
見えるのは新築の家々…
それを見るとこのあたりも津波の被害があったのだな…と思えます
石巻の駅には
福幸つむぎぞうりでお世話になっている若石プロの石橋先生と
もうお一人同じく若石プロのI先生が
車で待っていてくださいました
石橋先生とは台湾若石30周年の会に共に参加した仲なのですが
直接ゆっくりお話するのは
今回が初めてと言って良いぐらい…
それでも普段のfacebookなどのやりとりで
とっても近しい感じがしました
車は早速、津波で流された地域が一望できる
日和山へ
途中の道々で石橋先生から
ここまで船が流されてきていた
そこの橋も通れなくなっていた
…と説明を受けました
海に近い小高い日和山には
毎日ここにいらっしゃるという語り部の男性がいて
あの日のことをお話ししてくださいます
目の下に広がるのは
やっと造成が終わった土地…
かろうじて日和山に近いあたりに
高層の復興住宅が建築中です
その先の今は区画だけが残っている地域にも
3.11の前には
市立病院や文化センターなどたくさんの建物があったそうです
津波は川をさかのぼって
川岸の家々も流し去ったそうです
きれいに整地されている分
当初より穏やかに見えるのかもしれませんが
初めて目の当たりにした私の目には
震災の大きな傷跡…に見えました
命からがら急な坂を上って
日和山に避難できた人
それが叶わなかった人
押し入れの天袋に上がって難を逃れた人
家族で一人だけ助かった人
…長い時間ではありませんでしたが
それでもたくさんのお話を聞くことができました
思ったのは
「まだ全然終わっていない」ということ
仮設住宅もまだ残っている…といった
環境のことだけではありません
想像も出来ないような体験をされた方の中には
5年経って、ようやく自分の体験を口に出せるようになった方もあるそうです
あのとき自分がこうしていれば…と自分を責め続けている方もあるそうです
時の進み方の違いに愕然となりました
ある意味、あの日津波の様子をテレビで見たショックよりも
今回の方がショックが大きく感じられました
石橋先生が何度も
「江原さんが思いを寄せてくださっていることが
本当に救いに、助けになるんですよ」と
言ってくださったのが心に響きました
石巻以外にも、時の進み方があまりに遅くなってしまっている被災地はあることでしょう
同じ時代に同じ国に生まれたご縁…
できることは小さいかもしれませんが
これからも心を寄り添わせていただきたいと痛感しました