“頭”という他人

前回に続き、松村卓氏+藤田一照氏のトークショーからのお話

(これはお二人のトークショーを聴いたわたしなりに書くもので
トークショーの内容の要約ではありません)

松村先生は陸上選手時代、速く走るために
スクワットで300㎏、ベンチプレスで100㎏以上持ち上げるまで
筋肉を鍛え上げ
けがをしないようにとウォームアップでストレッチを入念にして…
けがに泣かされた経験から
自分のトレーニング方法に疑問を持つようになったそうです

苦しい思いをして鍛えれば
「強く」なれる?

曹洞宗の僧侶藤田一照さんいわく
心を強くしたいと禅に引かれる人が多いけれど
何物にも揺るがない「強い」心が
本当に強いんだろうか?
釈迦がやめたはずの難行苦行を「修行」とするのはなぜ?

苦しい思いをすると満足するsomethingがあるのです

それが“頭”…というわけです

これだけ辛い思いをしたんだから
「強くなっているはずだ。よし!」
ということで“頭”は満足するのだけれど
肝心の體は?心は?

わかりやすい筋骨隆々の体つきや
数値化された能力
意識しやすい自分自身の疲労感に“頭”は飛びつくのですね

頭は意外にも自分の體のことも心のこともわかっていません
トークショーでは「他人みたいなもの」と表現されていました

“頭”という他人を満足させる生き方でいいんですか?
それで生身の自分(體と心)は幸せなんですか?

骨ストレッチの講習会に出ていた頃
動いても動いても疲労感がなく
どんどん楽しく体が動かせることに驚いたものです
“頭”の縛りを外すことで
體が本来の力を取り戻すのです

そうすると…という先の話はこれまた次回に!

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こどもは“頭”で動かない

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